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◆◇ Diary ◇◆ 8月


使えるものは何でも使う根性
2004.8/29
 昨日の夜布団に入ってから腰回りが寒かったので、腹巻きをして寝た。
消燈後だったので、どこに腹巻きがあるのかわからず…最初に開けた引出しに息子お気に入りの伸縮パイル生地の枕カバー筒型があったので それを腹巻きにすることにした。
朝、『お気に入りの枕カバーがぁ〜』と嘆かれた。
息子よ、すまぬ。。。


見守ることの難しさ
2004.8/28
 試験最終日、息子を待つ母だった私は、試験終了予定時間に近づくにつれドキドキが強くなり何も手につかず…そんな状態だった。
本人より…落ち着かない状態だったのではないか…。
我が家は試験の付き添いを父親がしたが、他の子達は母親が多かったそうである。
小学校で奨励会を受ける子供の親は『ステージママ』さながらの熱中ぶりらしい。
1勝2敗で次の日に望みをかけた子のお母さんは、望みが繋がるか、ここで果てるか…という想いだったのだろう…ゲッソリして子供の終わるのを待っていたそうである。子供は飄々としていたらしいが(笑)

世の母親というものは、子供を想っては歳を取っていると思う(笑)
口を出し、手取り足取り密着して指導が出来る小学校の頃とは異なり、『次が見える』のに全面的に力を貸せない我が家のような思春期という難しい時期にある子供の親は、加速度的に老けるのではなかろうか…。
40を越えた息子を日々心配している自分の母をみても思うのだが…子供を心配する親の気持ちは程度は変わりこそすれ 永遠だろう。

-*-*-*-

 近年、私の生活は劇的な変化の連続であった。
父親の検査入院 難病発覚、単身赴任、地区役員での大役、父の緊急入院心臓停止、母の骨折、老後に向けての新居への説得、家探し、父親退院後の母親の精神不安定状態…そして、息子の将来についての夫婦喧嘩。。。ここに書ききれないくらい濃縮した人生だった。
私はこの3年でかなり歳を取った。白髪が大量に生えてきて、髪を染めなくてはならないくらいになった。身体の不調は毎日のこと、肌も荒れ放題になった。一時期は精神的にも不安定な状態だったと思う。
しかしここを生きぬいてきて、少し逞しくなったと感じる。精神力はついたのかもしれない。どんな時も家族を守らなくてはならないということも言葉ではなく身をもって知った。
『言うは安し』本当にそう思う。実行するということは、どんなに大変なことだろうか…。。。
あとは体力。理想に近づけるためには体力が必要だ。理想の体重とは…しばしお別れした。
な〜んて、自分の事は後回しにしてしまう辺り、まだまだ弱い自分を感じる。
なんとか自分も修復しつつ、貪欲に生きたいと思う。


一次通過したが…
2004.8/27
 勝負の世界の勝敗というのは本当の実力だけでは結果は出ないものだと思う。
その勝負に勝つだけの実力はもちろん、それに加え、体調などのコンディション、精神力、そして『運』がよいということも必要とする。
 息子は1日目気合が入っていて、運もよかったので3勝をあげた。2日目も一次通過の為に必要な一勝を初戦で勝ち取り、二次試験の切符を一番に勝ち取った。
しかし、安心感からの気の緩みからか、残りの2戦は2敗。寝不足などのコンディションが悪かったのも響いたとは思うが、それでも勝たねばならない勝負の世界では そんな言い訳は通用しない。運も精神力も、そして、心理作戦までもが 『実力』という言葉で片付けられてしまうプロの道に進もうとしている者としては、全てを味方に出来る強運を備えていなければならない。そうしなければ生き残れないのだから。
 そして、最終日3日目。内容は『奨励会生3人と対戦し一勝をあげる』だった。
もし、一回でも勝つことが出来たら…あとは面接をして 問題なければ晴れて奨励会に入会できる。今までも奨励会員やプロとの勝負で勝利もあった息子である。その実力はある。
しかし、この一勝が難しかった。『奨励会』王手が掛かったその対戦初回の相手は…研修会時代一度も勝つことができなかった苦手な相手だった。その相手は奨励会に入ってますます腕を上げ、勝ちを急ぐ息子の前に立ちはだかった…。
精神力の差…奨励会員の意地…将棋を愛する気持ちにかけては『誰にも負けない』という 揺るぎ無い思い入れ…。凄いものがあったのだろう…。息子は完敗した。
その後も体勢を立て直すことができず、2敗。奨励会入会の1勝をあげられなかったという。

 帰宅した息子、やけにさっぱりしていた。
父親の話では、勝負後は しばらく放心状態だったとのことだったが、帰宅して冷静に勝負を回想することができた。相手が凄く強くなっていたことや、自分が未熟だったこと…そんな感想をポツポツと冷静に言っていた。
 夜、今後のことについて 私と色々話をした。どうして負けてしまったか、相手に飲み込まれないくらいの精神力は 何が支えになっているのか…等…。自分で気づいて自分で納得しなければいけないのだ。彼が自分で問題を消化し、身体の一部に取り込み 今後に役立てることが出来なければ、何度試験を受けても同じ結果になってしまう。たとえ その時受かったとしても、その後の荒波に耐えられず挫折するかもしれない…プロに続く道というのは厳しい…。
 息子にとって これからが 本当の勝負なのかもしれない。


今日は眠い
2004.8/26
 午前中 免許の講習へ行った。雨が降らなかったのでよかった。講習を受けていて睡魔に襲われた。
私がこんなに眠いのだから、息子はもっと眠いのかもしれないな…。
 昨日息子は全勝して帰宅した。3戦3勝。幸先のよいスタートになった。が、1日中正座をしていたため、途中トイレに行く時、足の感覚がなくなってしまい、捻挫してしまったという。見事膨れ上がった足首…明日も1日正座なのに…どうなるのか心配が増えてしまった。。。
無事に帰って来れますように…。。。
 ちなみに父親は息子と共に試験会場である会館へ。もちろん昨日も。前日も息子より緊張し、昨日も待っている間中ドキドキしてたに違いない。仕方が無いよね、夢だったのだから。

以前 息子の将棋が伸び悩んだ時、父は な〜んと娘の方に夢を託すことを思いついた。
実はこの娘、まだ赤ちゃんの時から将棋の家庭で育ったので2歳にして『蓑囲い』という戦法を丸暗記してしまったのだった。子供の能力って凄いっと思ったが、4歳にはすっかり忘れてしまっていた。能力とは、毎日使ったり努力を重ねなければ それ以上の力にはならないどころか、退化してしまうということを知った出来事であった。
父は娘が女流棋士になることを夢見たが、娘は冷たく言い放った『ヤダ!絶対将棋はやらないっ。』
しつこい父はどーにかして娘に将棋の魅力を伝えようとした…モノで釣ろうとしたこともあった…が、娘は断固拒否。父の夢は芽がでることもなく終わったのだった。
子育てとは難しいものよのぅ。。。
特に息子の下に生まれた娘は…どこの家でも 難しくて両親を悩ませる存在らしい…。

昨日、ふと娘が言った。『私って将来なにになるのだろう…』
ゆっくり考えればいいよ…誰も強制しないから。お兄ちゃんのように早くに未来を決める為によく解らないうちから闘うなんてことをしなくても掴める道だってあるはず。
なんてことを思いながら『なんだろうねー』と そっけない返事の母であった。


人生の分岐点
2004.8/25
 きっと誰にも『人生の分岐点』はあるだろう。
yes or noで進むもの…進学や就職だったり 結婚だったり。
でも、もっともっと子供の頃に 気に止めないだけであって、それはそれはたくさんの大きな分岐点がゴロゴロしているのだろうと思う。
子供の頃というのは『ある人』に会っただけで、そこから人生の方向を決めてしまうほどの大きな分岐点が存在しているものである。気づかないうちに歩み始めている子供達。

 旦那様は自身が中学の時、心に決めたことがあった。
それは『自分の息子に将棋をさせたい』ということだった。
その願いは叶って息子が生まれ、その穏やかで従順な性格ゆえ父の思う通り低学年から将棋に通い続けた。息子にとって父は分岐点の人であった。
今、その息子は県代表になれる力を持ち、人生自己選択の分岐点に居る。
小学校の5年から ずっとそこに居ると言った方が正しいのかもしれない。彼の未来が決まってしまうかもしれない分岐点…その意味の大きさに本人が気づくまで3年かかった。5年生の夏、全国大会で5位を取った後、息子は堕落した。両親の喧嘩の原因は必ず息子の将棋に対する姿勢であった。教育の考え方は全く違い、正面からも側面からも家族で衝突しては 何日も考え込んだ。本当にこれでいいのか?自分にも息子にも何百回と尋ねた『このままでいいの?本当にいいの?』息子の心意が知りたかった。。。

 今回自らの意志により、挑んだ初めての山。これを越えることが出来たら…。もう、後戻りは出来ない。。。そのまま突き進むしかないのだ。そんな分岐点。
もし、うまく越えられなかったら…これが彼にとって最初の『挫折』になるのかもしれない。いや、また違う道に通じる突破口となるかもしれない。もしかしたら、来年再挑戦するための大切な経験となるかもしれない…いや、年齢制限のある将棋会だ…二十歳でプロ初段、三十一歳の誕生日にプロ四段にならなければ自動的に退会となってしまう世界だ。受かっても受からなくても人生の堕落の入り口まで転げ落ちるのかもしれない。どれになるのか、どれにもならないのか、全く予想がつかない。
しかも もし、うまく越えられたとしても…ここまで築き上げたものを一層強固にするため、今までとは違った、より険しい道のりを仲間と戦いながら進んでいかねばならない。オンリーワンではなく、常にベストワンを目指さなければならないのだ。年齢制限と戦いながら…。
今日は未来を決める第1日目、『奨励会試験』の第1日目。
彼にとって、吉と出るか、凶と出るか…。

私と息子は、この試験の日を『審判の日』と呼んだ。まるでターミネーター2のように思えたから。
審判の日第一日目…彼は仲間とではなく、本当の自分と闘っているのかもしれない。
闘いは まず2日あり、勝ち残った者だけ3日目がある。
いつもと同じよう母の買い出しに行き、戻ってから掃除をして…普段の生活をこなしながら…待っている。どうか、ベストを尽くせますよう…。それだけを願いながら。。。


枕と腕の関係
2004.8/22
 やっぱりありそうだ。
昔々使っていた超薄枕にしてみたら、今日は痺れているだけで、痛みまでは感じない。
低反発枕の「安い」ものは私には合わないのかもしれない。かといって、テンピュール枕をオタメシで買うなんて余裕の無い我が家。。。うーん…。しばらくは昔の枕を色々使ってみて、腕の調子の様子をみてみよう。


貧乏の理由
2004.8/21
 我が家は『エンゲルズ』だ。エンゲルズ=エンゲル係数の高い家のこと(昔深夜ラジオで言っていた…知らないだろうなー…)
別に高級食材を食べているわけではない。献立内容は きわめて普通。
上の子がアトピーだったので、少しばかり食物の安全性にこだわっているだけである。だけど買う量はハンパでない。旦那様と上の子は毎日弁当持ちだし仕方が無いのだ。
『特に子供には安全なものを食べさせたい』という考えから産直でほとんど調達している。多分物凄く食費が掛かっている←多分ではない…事実
なので、外食はナシ。
たま〜〜に誰かの誕生日とかあったりすると じじばばの外食に同行して かなり経済的にサポートしてもらわないと食べれないと思う。量頼むと値段も張るのが外食だ。先日の旅行の帰り道、デニーズに昼食摂りに寄ったのだけど、ちょこっと食べて5,000円弱。ファミレスごときに5,000円…バカみたいに高くてビックリする。食べ盛りの子が居る家庭なら、一度は思うことだろう。
子供が大きくなってくると教育費に負担がかかってくる。我が家もだが、他の家とはちょっと違うものに そのウエイトは占められていたりする。
その名は『将棋』

将棋自体、金の掛かるものではないのだが、これが県外まで通うとなると話は別。すぱらしく金の掛かることになる。行き帰りの運賃に食事代、そして、指導料…。
多分、1ヶ月の将棋関係の代金は…(゚▽゚;)…と なってしまうくらい。。。
考えると老後が心配になってくるので、考えないようにしているが、かなり家計を圧迫しているのは事実。その上塾にまで通い始めた…キツイ、役に立ってない、やめさせたい←本音
まだ下の子はスイミングだけしか習っていないが、これが塾にでも通うようになったら…多分私が外に働きに出ないと暮らして行けなくなると思う。
近い未来かもしれない…。。。


家族旅行
2004.8/19
 今年の大イベントである『家族旅行』に行って来た。 
毎年行ってる弓ヶ浜は こじんまりとして とても遊びやすい所だ。5年連続で行っているので、子供も慣れているし、旅館の目の前が海水浴場なので とても利用しやすい。心地良いプチリゾートという感じなのだ。温泉も広く いくつもあって、家族風呂は誰にもジャマされずに家族でノンビリ〜使える。

2日目は、今回初めて行った堂ヶ島。絶景であった。海と空を堪能できて、ノンビリ〜の私には これまたよかった。私がのんびりしている間に子供達はホテルのプールで泳ぎまくり、旦那様は一人で付近を探索してきたらしく、汗びっしょりになって部屋に戻ってきた。それぞれの好きな事をし、部屋に夕飯を運んでもらえるなんて天国であった♪
しかし、帰り道『早く家に帰りたいなァ』と言っていた子供達。やはり家が恋しくなるようで(笑)
私もミミに早く会いたかったし、あちこち寄らずに帰宅。すぐにミミを迎えに行った。
いいこちゃんしていたミミ♪キャリーの中で『また どこかに連れて行かれるの』って顔してた。
疲れた後の夕飯の支度だったが、ミミが足元に居るので なんだか嬉しくて♪ 『やっぱ、こうでなきゃ♪』と シミジミ♪


メチャメチャな気温差
2004.8/15
昨夜、暑かったはずだけど、今朝寒くて目が覚めた。雨もザーザー降っている。
なんと、20℃を下回っているっ !! 昨夜の天気予報でも涼しくなるとは言っていたが、こんな急激に気温が下がるとは。。気温差10℃以上。。涼しいを通り越して寒い。
なんとなく腕も痛い。原因は不明だが、冷やすと悪化するらしい。なので今日は長袖。
一気に『秋深し』ってなとこまで来てしまったのかと思いきや、明後日には残暑が戻るとのこと。明後日に「家族旅行」の予定なので、少しは暑くないと海に行ったありがたさがなくなってしまう。でも、予報は雨のち曇り。。カンカン照りの浜辺より 私の歳に優しい気もするが…。
子供が大きくなってきたので連泊の家族旅行は今年が最後になるかもしれないのに最後が雨じゃなぁ。

そういえば今年が最後って…去年も同じような事を言っていたような気がするが…。
去年の梅雨明け間近…父が緊急入院し、毎日のように病院に通い…状態が安定しなければ家族旅行もキャンセルするつもりだった。
回復がとても早く、心配無い程安定し、まだ退院していなかったので キャンセルせずに旅行に行くことが出来た。
でも、やはり両親の事を考えて、『これが最後になるかもしれない』と思ったんだった。
その秋に母が利き腕の骨折をし、その為足の具合も最悪になり…正直、母は車椅子の生活になると覚悟までした。これから先はずっと両親の介護だと。

あれから もう1年経つのか…。。。
なんとか回復した母と、状態を保っている父。まだまだ先はわからないが、子供の『楽しかった思い出』は作ってやりたい。小学校の記憶は永遠だから。
本当に、これが最後になるかもしれない家族旅行。一緒になって楽しんできたいと思う。


お盆
2004.8/12
子供がハムスターのケージを組み立てていた。
『チビが居るみたいだ♪』と喜ぶ子供。
お盆という意識は全然無いはずの子供が 誰にも教えられたわけでもなく…。。


毎日のように 楽しそうにチビの話をする子供。
たった1週間、家族で居たことを これだけ強く、いつまでも話続ける。
きっと チビは いつも大好きな子供のそばに居ることだろう。。。
そして、またハムスターを迎えたいと思う子供の気持ちを応援してくれているのだろう…。


小さな不調・大きくみれば好調
2004.8/11
連日暑いのに 寝つきは(日記を更新しようとしても寝てしまうくらい)いいし、よ〜く眠れる。
疲れたら15分くらいの昼寝も出来るようになったし、食欲はとてもある(あり過ぎかも)。
体調は良いと思う。
なのに、ニキビが出来やすくて困っている。
少し前には、口の回りはニキビのオンパレードで、炎症が治まってきても黒ずんだボツボツは消えず、鏡を覗く度に そこにはのらくろがいるかのようだった 私の顔。。。
だいぶ薄くなってきたけど、やっぱり鏡の中にはのらくろが健在(泣)
そして、今度は腕が不調。
最初は肩が重くて、よくなったと思ったら今度は肩甲骨から腕にかけての広範囲が痛くなった。痛みが鈍痛なのが気になる。だるくて仕事がはかどらない。リュウマチとかを疑いたくなる。どうすれば痛みが取れるか思考錯誤。早く片付けを済ませてしまいたいのに。これでは誰も家に呼べない(泣)


日記をつけることにした
2004.8/10
今日から日常の日記というものをつけてみようと思い立った。
一応 ミミの携帯日記は ほとんど毎日更新できている。
けど…PCを開いて書き込むという作業だと多分1週間に一回とか2週間に一回とか、まとめて更新という形になるだろうな。
内容も とりとめのないものやら愚痴やら鬱憤の掃き溜め処…そんなものになると思う。
(--;;)
さぁ、どこまで続くか、私のローカル日記…。


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