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◆◇ Diary ◇◆ 9月



電話・電話・電話
2004,9,27

 朝から予約の変更の電話を掛けることになっていたのだが、その前に子供会の役員さんより電話が…まだ上の子が登校する前にあった。。。急用でなければ午前9時前の電話は控えて欲しいと思うのは贅沢だろうか…。
「会長の○○さんから聞きましたが、ウエイトレス引きうけてくださるということでありがとうございます」
「…」違う! 違う!!
会長は 「いいよいいよ○○さんはお父様大変だから…こちらで他の人にあたってみますから」って言ってくれたのに〜〜何故話がこうなるのか…・・。そう言えば、地区の運動会の役員も私にも声をかけていたのに決定しましたの連絡をもらっていなかったよな。。ん゛ーこういうのは困る。
とりあえず 父の検診の日が決まってショートステイの日が決まらないとウエイトレスの話までいかないので、それぞれの話がついたら こちらから電話することにする。
 病院の予約変更が うまくいき、ショートの予定も母の思い通りに取れた。旦那様には地区の手伝いがなくなったからウエイトレスを引きうけることを了承してもらった。で、子供会役員さんにOKの電話。。。
万が一父が具合悪くなってもウエイトレスを終えて私がかけつければ…なんとかなるだろう…安易な発想だが、仕方が無い…。。。私が ぶっ倒れないように気をつければなんとかなる…だろうから。 (ぶっ倒れても起き上がって行くだろう…。。。)

母は午前中調子が悪い。だから電話も夕方になってからにしようと思っていたのだが、母から電話があった。次回のデイ・ショートの話し合いの日程の電話があったということだった。
母の話を聞くと、今父がまた熱を出していて、母も風邪気味で足関節も具合が悪くて痛くて仕方が無いという。今日は寒いし、雨だから余計に気が滅入っているらしい。塩がない、バナナもない…とか、下を向くと胸の骨が痛いだの骨折した右腕はまだ完全に治っていない…色々話に上がる。
金曜の夜電話かけた時には少し外出してパチンコなどに久々にいって楽しかったらしく、「買い物もしたから しばらく来なくていいよ」てな話だったのに…やはり楽観視は危険だ。下の子供が帰って来る前なので、上の子に買い出しに行ってもらうことにした。頼りになる子でよかった。。。
うーむ…ウエイトレス…やっぱ断ればよかったかもなぁ←遅〜い後悔…。


連 日
2004,9,25

 昨夜いきなり自治会がらみの会合に関するメールがあった。今日の夜7時より話し合いがあるので出席して欲しいとのこと…。話し合いは内部事情をよく知っている人でないと無理なので、役員経験のある私は出席した。終わったのは9時前。旦那様がいなかったので子供達を野放し状態にしていかねばならない私はいつも複雑な心境だ。今日も適当に風呂に入り、その後テレビゲーム三昧だったらしい…あ゛ーっ…地域の子供のことを考えて真剣に話し合いを行っているが、自分の家の子達にまで手が回らない。これでは本末転倒だといつも思う。。。
 色々な行事が重なる秋は、いつも ばたばた忙しい。自治会・子供会・学校…あちこちから手伝って下さいの声が掛かる。今年は父の病気であまり受けられないのを今年の役員は周知のはずなのだが、それでも他に誰もボランティアの受け手がいないと話は回ってくる。必ず。。。
今回は 地区の運動会準備委員と、その1週間後の福祉の祭りのウエイトレスの手伝いの話がきている。
ふたつも無理かも…と困っていたら、運動会の方は他の方が受けてくださった。ほっ…。
ウエイトレスは父の検診の日取りがうまくずらすことが出来れば何とか受けれるかなとも思ったが、、これも父が元気であるという前提の話。先週、今週と熱を出している父…それをみている母の具合が悪くなったら私が行かねば誰が介護するの?ってなってしまう…本当は不安だ。
で、出来ればやらずに済むようにすると、会長さんの言葉。ありがたや…。

 明日はお義母様関連の法事に行くことになっている。
涼しく よ〜く眠れますよう…。
それだけが 願い。。。


ケア・マネージャー
2004,9,24

 父の具合が良くなったか確認の電話をしたら めずらしく張りのある声の母。父は元通りに足取りもしっかりしたとのこと。不安要素が無くなって安定しているらしい。
これから自分の定期検診に行くのだという。涼しいし、ゆっくり外出しておいでねと電話を切った。
 しばらくしてケア・マネさんから電話。来月の日程調整についての確認のものだったが、なんと母に先に連絡してOKをもらったという日取りには次回検診が重なっていた。母はカレンダーの検診の日という○印を見ないでOKしたのだった…も゛〜っ。まただ。。
検診の日を遅くするにも 薬がその日まで足りないとそれも無理。母に確認したいけど今居ないし、夜も明日の土曜日も病院はやってないし…。
仕方が無いので 母に薬の量の確認をしてから月曜日の朝 検診の日をずらせるか病院に問い合わせ、ケア・マネさんに連絡を入れる事にした。
このケア・マネさん、8月の終わりから初めて仕事に着いた方で まだ仕事に慣れていない。前回こちらで決まった日程より1泊多く申請していたり、今回も日程が変わったのを母だけに知らせていた。
たまたま父が熱を出して早退した時電話をかけて日程変更を伝えたらしいが、その後すぐに私に電話を入れなかったのでこんなややこしいことになってしまった…。
「母は当てになりませんので何か変更がありましたら私にもすぐにお知らせ下さい」と言っておいたのだが、まだ良くわかっていなかったようだ。
まぁ、母がしっかり全てを把握していれば済む事なのだが…今日連絡した時も日程変更について何も言ってなかったし…(--;;) 母はもう私に任せっきりにしてしまっている…でも、要望はたくさんあるので母抜きには決められないのだ。私もケア・マネさんも二度手間だが ちゃんと連絡しなければならないのだ。
ケア・マネさんが慣れるまでは しばらく私は気が抜けないな…。


期末テスト
2004,9,21

 恐怖の期末試験が始まった。
と、いっても 当の本人は全然恐怖ではないらしい。。。
こういうのは親の方が敏感になるのか?って私の親はそんなことなかったような…他の家はどーなんだろ?
試験の時も 普段の時も全然変わり映えしない息子に「ちっとはヤバイと思えよー」って言っているが、旦那様は私の対応不足でダメだという厳しいご指摘…。。。
もっともっと子供の側に居てうまく負荷をかけないとダメだと。
この加減が難しくて それゆえ私には恐怖なのだな。。。
まぁ、今回は自分から机に向かっていたから良しとしよう…少しだけだけど。。。
子育ては体力と精神力が必要だけど…親の方にも気を配らにゃならない私…そーんなとこまで出来るかしら…って やるしかないのだけど。
さー今日も頑張るぞー★


緊急出動要請
2004,9,21

 昼過ぎに母から電話。ショートステイに行っている父が熱をだしたらしく、となりの病院にかかるため保険証が必要だという。母は自分では届けられない(今精神状態も肉体状態も悪い)ので 必要なのだけどどうしよう?という内容。
もちろん私が届けることにしたが、遅い昼飯(冷やし中華)を食べながら洗濯物を干そうとしていたので、すでに出来あがっていたその二つをそのまま放ってすぐに行けず、麺をすすりモグモグしながら山盛りの洗濯物を干し、化粧と着替えは3分という 大変行儀の悪い最短身支度(電話から20分)を子供の前でして家を出た。←絶対同じことをするようになるだろう悪い見本だ…汗

母のマンションに保険証を取りに行ったら『まぁ座りなよー』と母。急いで来たのに何事かと思えば、あれから話は変わっていて、ショート先から父を帰すという連絡があったらしく、私が近所の病院に父を連れていくことになったらしい…。子供には「速攻で帰るから勉強手抜きしないこと!!」と言って出てきたのだが…いつも大事なことがある時に限って予定通りにいかないー。仕方が無いのだが。。。
父は車椅子で帰宅した。送ってくださったデイサービスの方にお礼を言い、そのまま父を病院に連れて行こうとした。

いつもは 定期検診で病院に行く時 足取りも軽く、腕を支えてあげればちゃんと歩けるのだが…今日は違った。全然前に進めない。父の病気の症状としては 重症に移行すれば こんなものなのだが、普段の日と全く違った「歩けず前に進めない」父を 転ばせないよう手をつくところを探し、休ませながら 抱きかかえるように支え たった30メートルくらいの距離を20分以上かけ、ようやく病院に辿りついた。こちらの異変に気づいたスタッフが素早く車椅子を用意してくれたので助かった。
父の身体はたいしたことなく、一般的な風邪薬を処方された。よかった。以前 救急車で運ばれた時は、風邪ではなかったけれど、風邪が引きがねになっていて呼吸困難になり その後昏睡状態になりかかったのだった。病院への移動中、ここで力尽きたら救急車だ と、何度も思ったくらい動けず身体の全ての反応も鈍かったから…。
病院から車椅子をお借りして すぐ側の薬局で薬を処方していただき、そのまま母の元に送り届けた。

それにしても 今回私の腰が何ともない時でよかった。もし腰痛があったら一緒に倒れて一緒に入院になったかもしれない…それほど今回の父の身体は不自由で重く 今にも倒れ込みそうだった…。
父にはたくさん歩かせてあげたいが…病状は静かに悪化しているようだ。抵抗力はなくなってきているようで 風邪も治りにくくなった。少しの熱でこんなになってしまうなら車椅子の用意も必要かもしれない。一緒に歩く時も何かにつかまらせなければ少し長い時間の外出は危ないのかもしれない…。
色々な考えが頭を巡ったが…とりあえず安静にして風邪をしっかり治さなければならないだろう…。


似たもの親子
2004,9,19

向こうの部屋で下の子が なにやらお父さんとヒソヒソ話をして盛り上がっている。
旦那「うっそー♪」
子『本当だってばー☆』
旦那「本当かー?」
子『じゃぁ来て見てっ♪』 とーっても嬉しそうな声。。。
で、やって来たのは私のところ。
私「なによ?」
旦那「いやー お母さんが男になったっていうから見に来た♪」 と ニヤニヤ。
私「は????」
子『お母さん腕♪腕っ♪』
旦那「どれどれ♪」
…私の腕にあるホクロから1本長い毛が生えていた←これだけで男にされた母…汗
なんだよーっまったく とーちゃんまでっ!!(怒)
野次馬なところまで そっくりだよ きみたち…(--;;;)


潮の満ち引き…月は感情を支配する
2004,9,18

 疲れて帰って来ると機嫌が悪くなる下の子。それが ある一定条件を満たした時、だいたい決まって4時〜5時頃 顕著に現れることがある。
 今日は朝から運動会だった。疲れて帰って来たのにスイミングに行くとのこと。結構タフなので まあ大丈夫かな〜とか思うのだが、やはり かなり疲れていたのだろう、出発の直前になって態度が一変した…。
ついさっきまでは『大丈夫♪平気平気スイミング行きたいの♪』と余裕だったのが、『絶対行くのやだ!!』『もうイヤになった!! 』『もうやめたい』…と始まり、終いには『絶対テストに受かってやんないから!!』などとメチャメチャなことを言いはじめたりする…。
この日もガチャガチャ言っていたが、さっさとスイミングに送り届けた。
不思議なのだが、その時間を越えてしまえば…すっかりサッパリ元通りになるのだ。
言いすぎた事を自分で反省したり、酷いことを言った事に対して謝ったりする。
この日もサッパリして『ただいまーー♪』と帰宅した。

 どうして こんなに豹変するのか…最初は私の接し方が合わないのかと悩んだりもした。
が、どうやら原因は違うところにあったようだ。
そう、その『魔の時』は、満潮時刻と重なるということが判明した。
満潮時刻に まだ疲れていなければ、このようなことも起こらないのだが、寝不足が続いたある日…帰宅して少し経って気が抜けて…眠りそうなくらいに とても疲れていて…満潮時で…と悪条件が重なると、何かの切欠で 感情が爆発してしまい収拾がつかなくなってしまうことがある。もちろんいつもと言う訳でもない。たまに だ。

 出産とか息を引き取る時とか…潮の満ち引きや月の満ち欠けが関係していると言われているのだから、感情の起伏も影響を受けるのはおかしくない。
台風が近づくと頭痛がしたり、雨が降る直前に関節が痛んだり腰痛になったり 昔の古傷が痛んだりするようなこともある。人間は月の引力や雨などの時の気圧の変化などの自然のものに きっと何らかの影響を受けているのだろう。彼女は その影響が少しばかり大きいだけなのかもしれない。
原因が判ったのだから、あとは気を付けて過ごし コントロールできるようになればいい。
自然を受け入れつつ気をつければ、彼女は安定した幸せな時を過ごすことができるようになるだろうから…。
一緒に考えてゆっくり頑張って行こうね…。


全て私の指示を仰ぐ
2004.9.13

 病院に定期検診に行った後、父が熱を出した。
母は慌てて私に電話をかけてきた。
「どうしたらいい?」声が震えている。
良く考えれば解ることなのだけど、父のこととなると母は正気を失う。
たかが微熱なのだけど、自分が良いと判断したことの結果が悪い方に出たら、死なせてしまったらどうしよう…と考えてしまうらしい。
緊急入院した時も、最初は微熱からだったから…無理も無い。
詳しく状況を聞き、大丈夫なことを強調しながら不安を取り除けるよう、やることを忘れないよう何度も説明し…母が納得して自分から電話を切るまで待つ。
そうすることで母は正気を取り戻し、処置の方法を思い出し、感情を安定させることができるのだ。

 母は…父が発病して精神的なダメージを受けすぎた。うつ病…かもしれない。いや、…多分そうなのだ。
元々神経質で頭痛持ち。夕方にならないと頭も身体も動かない。何かあると心臓がドキドキして胸が苦しくなることもある…元々几帳面な性格。それゆえ思い通りにならないと それだけで精神的ダメージを受けてしまうのだ。
絶対責めたり冷たく突き放したりしてはならない。そんなことをしなくても、自分から絶望のどん底にたやすく落ちていってしまうから…。

言いたいことを全部言い、やるべきことを思い出し、精神的に落ち着いて母は電話を切った。
父は大丈夫だ。良く寝て休めば…。母も良く眠れるといいのだけど…。


運動会
2004.9.12

朝からカラッと晴天だった。魔の『残暑の中の運動会』であった。が、客席となるスタンドは丁度日陰があり、思ったよりも涼しく観戦できた。
今の中学の運動会は徒競走とかやらない。団体で行う組み立て体操などの他は 大体一人に付き2〜3回くらいしか出場しないのだ。なーんかイマイチの運動会。子供が出なくても盛り上がる昔の運動会ではない。寂しい限りだ。
午前中の出場種目が終わったら、もう満足の両親であった…。^^;;
下の子も午後からは友達と遊びに出かけてしまったので、何を思ったか旦那様、街に出かけようと強引な誘い…私は家でHP製作をしようと思っていたのに…。。。
普段も あまり付き合って外出してあげていないので、今日は付き合うことにした。
でも、行くとこないのだわ…さっきしっかり昼飯を食べたのでランチの気分でもないし、ドトールやスターバックスとかなら一人で行けば?ってな感じ←結構冷たい妻^^;;
で、色々考えた末、普段食べないようなものならいいか…と思い、コムサ・デ・モードのカフェにケーキを食べに行くことに決定。
我が街は すっごく田舎なくせに ケーキ屋がひしめきあっているという、ケーキ屋激戦区なのだ。だから、ウマイと言われるケーキのほとんどは若い頃に飽きるほど食べており そのほとんどの味を知っている(バブル時の贅沢ね…)から、普通のケーキでは感動は無いのだ。かえって手作りケーキとかの素朴なもののほうが感動したりするほど。
しかし コムサは一昨年できてから まだ一度も入ったことがなかった。ケーキのショーケースの前が通路になっているのだけど、生の果物がどっさり盛ってあって、値段も高い。子供と入る雰囲気ではないし、子供は普通のショートケーキの方が好きなので、あえて付き合ってもらうのももったいない。親しい友人をお茶に誘うにも予定が合わないほど皆忙しいし…たまたまランチしても、その後に入るには主婦には高級すぎるのだ。

 久々に そんな贅沢を決行。2人で\2,500を越えるという高額のケーキタイムは 高いだけあって さすがに満足な味であった。^^ごち♪


定期検診・家に入れない
2004,9,10

 父は定期的に病院に通院している。父の病気は難病で、現在治療法が見つかっていないが、進行を緩やかにし日常生活を送れるようにする薬はある。父の薬の効き具合は中程度なので、劇的に良くはならないが 効かないけではないので、先生に症状を伝え薬を段階的に変えてもらうことになる。そのために月に一度は検診して薬を出してもらうことになっているのだ。
 本来一緒に暮らしている母が父と一緒に問診を受けるのが望ましいのだが、母は暑い時期や寒い時期、気圧の谷が来た時や寝不足の時など調子が悪くなるらしいので安定している時の方がまれだ。
だから私が病院に連れて行っている。元気な時に連れていくので そんな大変なことはないのだが、付き添う時間が長いので このような時は下の子は鍵ッ子だ。スイミングのある日は自分一人で行ってもらっている。
物騒な世の中なので本当は子供にも付き添って送っていくのが望ましいのだけど、時間が重なってしまう時は理由がない限り 不自由な父を優先させてもらっている。
この日病院はとっても混んでいて1時間半待ちとなった。さすがに父も少し疲れたらしい。
自宅に戻ると なんと上の子が居た…なんでも鍵を忘れて家に入れなかったらしい。
…下の子に私の鍵を置いてきたのだから…その鍵を持ってでかけてしまったら…下の子が帰宅するまで家に入れないことに☆げげっ★
おまけに今日は上の子の塾の日…夕飯食べさせてやらんと…。
それより下の子が戻ってくるのが遅ければ塾のカバンを取れるか、塾に間に合うか…ってなことが頭をよぎる。
案の定、友達の探し物に付き合っていたらしく下の子の帰宅は いつもより遅くかった。私は庭で1時間近く待った。。。
昼過ぎに母の買い出しをし、今まで外出していたので、家のことは中途半端であった。なんとか塾には間に合わせて夕飯を食べさせられたが…とっても効率の悪い疲れる1日だった。


つらの皮
2004.9.

 顔と首の境目に出来たニキビのような物体は首にまで広がってしまった。これをを除去するべく、色々試していたのだが効果はイマイチ。境目は気にしなければ治りそうだったのだが首は痛いのだ。これは気になって仕方がない…。
ただ、境目の方は薬用石鹸を背中を磨くように洗うタオルで泡立ててよーく洗っていたら治ってきた。その時「これはいいかも♪」と顔もついでに洗ってみた。そうしたら とってもサッパリといい感じではないか♪
その日から私は垢すりのようなタオルで顔を洗うようになった。とっても良く落ち、顔に出来ていたニキビの卵のような詰まりまで綺麗に取れているっ♪
トラブルが減ってきて経過も良い。

ふと思ったのだけど…垢すりのようなタオルで刺激しても痛まないということは…私の顔って背中の皮膚ほど丈夫なんだなー。。。って 面の皮が厚いってこと?!
ちょっとだけ…複雑な心境になった私。。。←気づくの遅すぎだよっ★


買い出し
2004,

 母が我が家の近く(と言っても徒歩7分線路の向こうでチョット遠い)に引越しをしてから ずっと買い物は私がやっている。
母は頭痛持ちだ。気分がすぐれない日の方が多い。元々外に出かけることは好まない上 足が悪いので、少し重い物を持ったり 長く歩くと膝やら足やら色々な所が痛くなってしまうからだ。
父が倒れる前は 少し不自由でも頑張って父が買い物をしていたらしいが、今 父は介助なしに歩くことが出来なくなってしまったので、外の用事はほとんど私がしている。

それで困ったことが出てきた。それは食事の内容のバリエーションがなくなったこと。
毎日食事を作っている人ならわかると思うが、献立というのは買い物をしながら決めることが多い。その日の特売品とかを上手に取り入れて普段あまり作らないものも『これが安いから』という理由で作ってみたりすることがある。
買い物している時の気分や特価品によって決まることの多い献立。しかし、作る本人が行かなければ閃きも少なくなるし、新しい献立に挑戦しようという意欲も薄れてしまう。
いつも私が『要る物』だけを頼まれて買ってくると、毎回同じような料理しかテーブルに並ばなくなってしまうのだ。
楽しみは食べることだけになってしまった父…マンネリの献立には飽きてしまっているらしい。。。
しかし『何か食べたい物はある?買って来るけど』と聞いても『いいや ない』と言うだけだ。
本当は食べたいものを自分の目で見て選びたい父。しかし、私一人で父を連れて買い物をさせることはできない。父の介助で手一杯で、一人で重い物をたくさん持って運ぶこと危ないからだ。もっと頻繁に買い物に連れて行ってあげたいけど、自分の家のこともあるし…理想通りに全部やってあげることは不可能なのだ。。。
で、今日も同じような食材を母から頼まれ…買い出しに行って来た。。。
もう少し涼しくなったら母の状態も安定してきて、外に出かけたくなるかなと期待している。
3人で買い物に行き、外での刺激を受けて食べたいものだけでも選べれば…少しは楽しくなるかな…とも期待するが…。


五段に昇段
2004,9,4

 将棋の昇段はその段によって○○連勝しなければならないそうだ。一級から初段になるには9連勝、四段から五段になるなら20連勝、というように段が高くなればなるほど難しくなってくる。20連勝して昇段したことは我が子ながら やはりすごいと思う。
ずっと四段だった息子は、塾で『四段』と呼ばれているらしい。本名は知らなくても、四段と言えば同じ学年のほとんどの子通じるそうだ。変なの。
今回五段になって、呼び名も『五段』に昇格(?)したらしい。。。
『五段の方が呼びやすいね♪』と塾の先生にも言われたそうだ。
五段のプライドを持って…さらなる上の世界に挑んでいく息子を望んでいるが、当の本人は 母から見れば変わり映えなく、いつものようにゆったり・たっぷり・の〜んびり…生きているように見えるのである。。。
まぁ、生き方はそれぞれだが…(汗)


のらくろ その後…
2004.9.3

 少し前に口の回りにのらくろのようなポツポツが出来た私、今度は顔と首の境目のところ(ちょうどアゴのライン)に『のらくろ予備隊』なるボツボツが出来てしまった…。
これもやがてはのらくろになるのだろうな…(泣)
体調は悪くないのに 肌にこんなものが出来てしまうというのは…心理的な作用が大きいのだろうか…。
身体的にも結構強くなったといえ、やはりやらなければならないことが許容範囲を越えると なんらかの形で警告として訴えてくるのかもしれない。
しかし、負けるものか!!ってな息込みで無視…すればいいものを…やっぱり気になって触ってしまう→刺激で炎症になる→余計大きくなる→気になってもっと触る→いつまでも後が残る…(汗)
悪循環っ!!(泣)

…ふと、本当に許容範囲を越えて時間すらないのなら…そんなちっぽけなデキモノを気にする時間もないのではないか??と気づく…。。。
そんなもの気にするだけの時間が…私には まだあるということに。
集中力が足りないのだ。きっと。
自分を甘やかしているという事実にほかならないのかも。
…まだまだだな(溜息)←自分


今日から9月
2004.9.1

 ニ期制導入により、8月30日から学校が始まるという、歯切れの悪い夏休みだった。
すでに中学は弁当持ちで午後まで授業があり、小学校も明日から給食が始まる。
教育トップのお偉方が、アメリカの真似をして『ニ期制』などという 日本の風土にそむいた制度を試しているのだ。
 『梅雨』という特殊な時期がある日本は 独特の四季というものがあり、それを季節の区切りで うまく分けたのが『三学期制』だった。長きに渡って私達も慣れ親しんできた 伝統ある三学期制のメリットは、その時期に合った大きな行事が組みやすく、四季の移り変わりにケジメとして終業式があることだと思う。
 それを『二学期』にしてしまったのだ。ノンビリしたスタート。危機感はゼロに等しい。夏休み前の終業式はなく、ダラダラと夏休みに突入。8月最終週から学校再開。ここから押せ押せの後期前が始まる。四季のうつりゆく様子も感じ取れないまま ただロボットのように 行事をこなせ! とにかく早くしろ! 効率を求めよ! と、強制させられているようなものだ。
例を挙げれば、運動会は夏休み終了後すぐに行い、期末テストをそのすぐ(10日程)後に行い、秋休みを挟んで後期が始まる。 …ギチギチのハードスケジュールではないか。
本来秋休み頃の涼しく気候も安定した時期にあるはずの運動会、どうして まだ暑い時期に熱射病と戦いながら短期間で踊り等、覚えさせなくてはならないのだろうか。積め込み式の運動会が クラスの結びつきを強くしたり新たな人間関係を築いたり実りのある楽しいものになるだろうか。
その後の期末テストは十分気持ちの切り替えがないまま、これまた積め込み式に勉強しなければならず、ただでさえ気持ちに余裕がない中学生の大半は、学力は効率良く上がることはないだろう。
高校生くらいになれば、少しくらいハードな行事を組んでも順応する体力と頭の切り替えができるのかもしれないが、まだ未熟な小中の子供達に いきなりこれでは混乱するばかりである。
 本来ニ期制というのはアメリカの気候に合わせたものであり、9月から新学期が始まる等、それはアメリカの制度に合ったものであると思う。日本に当てはめるには無理があるのだ。

 こんなチンプンカンプンの教育制度をいち早く取り入れてしまう我が県は、もう一つ間違いを犯している。それは『ゆとり教育』である。ゆとりの意味を履き違えている感がある。やる気を起こさせる切欠の場を与えることもなく、時間だけ自由にしてしまっている。教育という畑は日頃の手入れをしてこそ人間として花が咲き、実力が実るのだ。教育トップが掲げた『ゆとり教育』とは、種まきも時期はずれにし、草むしりも肥料も「時期」にやらずに放って置いているのに異ならない。そこから何が芽生えるというのだろうか。教育トップは何を期待してみたのだろうか。
部活や塾や習い事等、親が『金やボランティアを出して』活躍する場を与えてあげない限りは、子供達に『本来のゆとり教育(=時間をたっぷり使って 自分から自発的に学んでいくこと)』は望めない。場を与えてもらえなかった子供達のすることといえば、土曜の休みに娯楽を求めてタムロし、日曜も引き続きダラダラしていることがほとんどであるからだ。
 我が県は教育のレベルがまちまちで、一定していない。イジメは近隣の県の中でダントツだし、不登校なども多い。とても中途半端な教育をしていると言える。考えてみれば当然である。学力低下なども予想されていた。当然の結果であろう。
 的確な負荷を掛けなければ人間はより強く成長しない。それは骨や筋肉だけのことではない。義務教育というのは、偏ってしまう家庭での負荷を調整し、誰でも公平に「的確な負荷」をかけてもらえる場所でなければならない。
この現状を、本当の姿を トップのお偉方は自分の実際に目で見て知っているのだろうか。
 革新を掲げて理想だけを言うのは容易いことだ。
日本の教育者トップのお偉方は、実際に学校に何度も足を運ぶことは無いだろう。
楽して本当に良いモノを得られると思っているのだろうか。

 この子達が未来の日本を、世界を支えていくのだ。もっと本気になって身を削って悩んで欲しい。


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