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◆◇ Diary ◇◆ 5月

情緒不安定…
2005.5.1

「○○(←私)のお母さん本人から『外食でもする?』って言葉がでてきたから、今日は気分がいいと思うよ。今日皆で集まって食べない?って。」
母は 我が家族と自分ら夫婦で一緒に外食…と言う意味で言ったのだ。
それを聞いて旦那様は 自分のお母さんに早速誘いの電話をかけてしまった。

母が『外食でもする?』と言ったのは本当だ。
でも これは美辞麗句のようなものなんだ。
旦那様の両親を誘うのは やめて欲しかった。
母は心から気分が晴れているわけではないんだよ…精一杯の美辞麗句。
かなりの無理をしているのだ。

連休頃 私の両親に会いたいといっていた旦那様の両親。出かけるのが好きなフットワークの軽い人達。
昔は ちょくちょく集まって飲んでいた仲だった。
同じ年代で話も弾んだ。皆本当に楽しそうだった。。

しかし、父の病気が悪化して。。集まれなくなった。
一昨年の暮れ、仮退院して我が家に泊めていた両親に会ったきり、全員で会う機会はなかった。
父は 人に会うのが楽しい。だが、母は 元々おっくうなのだ。それでも元気な時は それなりに楽しんでいた。会えば楽しいのだった。

しかし 今は違う…。
会っても 楽しくない。
昔とは違う。
自由だった健康時代にできたことが全然出来ない自分を不幸だと思ってしまっている。
健康で幸せそう(そうに見える)な他人と今の自分を見比べてしまう。
少しも楽しくないのに なんで無理して一緒に食べなきゃいけないのか。。そう思うだけで行く前からすでに憂鬱になる母。。
そういう母の姿を見るのは辛い。
母のことだけ考えれば…出来れば そっとしておくほうがいいのだ。
しかし、旦那様の両親のことを考えると 皆で集まるのが楽しいのだ。
父も…自分が不自由で昔のように飲めなくっても…皆に会いたいのだ。
母が一番大変なのに…母は自分自身の気持ちを無視して皆に合わせて食事をすることにした。。

そして…出かける用意をするまでの鬱憤は…全て私にぶつけられるのだった。。
まるで 思春期の子供みたいに 人の言葉尻をとっては噛みつくように文句を言う母。
私の仕事は そんな母をなだめて 少しでも心が楽になれるようにしてあげること。。。
私には反抗期の娘のような母が居る…と思うことにしている。
おとなげない会話、自己中心的会話、自分だけ可愛そう的会話。。
実の娘の反抗的態度が可愛く見えるほど 母の反抗期は激しいようだ。
情緒不安定な母。。反抗期と言ったら失礼かもしれないが。。第三次老年反抗期。。。
この反抗期は…父が治らない限り続くのであろう。。

旦那様の両親は 食事はそれなりに楽しんでくれたと思う。
それが 一番幸せな時の半分…いや、10分の1の楽しさだろうと…わかってくれている。昔とは全然違うということも承知の上なのだ。色々気を使ってくれている。。
一足先に衰退期に入ってしまった両親のことを思うと 複雑だが…これも必要なことではないかと思ってしまう。。。
同じ立場の人と話すと安らぐのは当然なことだと思う。
自分より恵まれた立場の人達と話して 楽しめないのは 母が悪いわけではないのだ。
もっともっと 私達周囲の者が気遣ってあげなければいけないのだろう。。どちらの要望も聞き入れ どちらも満足するように うまく調整できたらいいのだが。。。
難しいけど…私達の課題…いや、これは私の仕事なのだろう。。。


恒例の上半期誕生会・母の日お祝い
2005.5.4

何もなければ 毎年この時期に集まることになっている。
去年は 私は中耳炎で留守番、一昨年は腰痛の激痛で倒れて やはり留守番。。
この時期は私にとって要注意なのだ。今年は なんとか大丈夫そうだけど。。
時間もないので今年は 旦那様の妹夫婦の家ではなく、両親の住んでいる市内にある いきつけの店で昼食を食べることにした。
毎年 毎年大きくなっていく孫に囲まれ、旦那様の両親は嬉しそうだった。
暮れに大手術をした義父は 抗がん剤で治療しているが 今のところ再発はない。
もしかしたら もうだめかもしれない…と思ったこともあったそうだ。
しかし ここまで復活して家庭菜園まで復活。この生命力は素晴らしい。
こんな楽しいひとときを下さって…と 神や仏に感謝しているのがよくわかる。
お義父さん、お義母さん、健康で居て下さってありがとう。。。
この方達の健康の上に私の通い介護が成り立っているのだ。
心から感謝。。


3位と電話と
2005.5.5

小田原でアマチュア将棋大会。。体調がイマイチだった息子、まあまあの3位入賞。
しかし、家族全員 喜び半分というところだろうか。。
日曜の「中学生名人戦」をひかえ 優勝、もしくは準優勝が欲しかった。。

賞品の蒲鉾詰め合わせセットを持ちかえり 一息ついてから旦那様は買い物へ出ていた。
そこへ母から電話が。。
「向こう(旦那様の)お母さんから電話があって…私よりお父さんが可愛そうっていうのよ…」
泣き声になる。。。
よーく聞いてみれば そんなこと言っていないのだ。しかし、「お父さんがそう言ってたって言うのよ!そう言っていたということをわざわざ言うのはお母さんの本心も そうだと思っているからじゃない?!」
…きっと ここで私の口から悪口が出るのを望んでいたのだろう。。
しかし、私は悪口を言うのが嫌いな人間に出来ているようで。。冷静に対処してしまうのだ。
向こうが悪ければ かばうつもりはない。悪いものは悪い。だけど、どう聞いても腑に落ちない点は譲らない。。融通の利かない性格…なのだ。私。
全部『普通〜だよね?』で片付ける会話って私は好きではない。どうしてそうしてしまったのか、背景になるものを考えつつ冷静に考えてしまうのだ。
母にとっては 面白くない対応になってしまう。。「そーだよねー。酷いよねー」って同情して言えば気が済むのかもしれないのに。。
電話では「説得」の形になってしまった。しぶしぶ『納得』したような母だったが。。
私は電話を切って少し落ち込んだ。。
けれど私に こういう冷静さがあるから 反抗期のように噛みつく母をサラッとかわし、介護にも行けるのだ。。もし 私から冷静さを奪ってしまったら…私はほとんど母の元には寄りつかないと思う。それほど激しいのだ 今の母は…。
私自身 自分を責めないように 大切にしなければ 母を支えられず壊れてしまいそうになる。。
自己防衛なんだから…と 自分に言い聞かせることにした。


中学生名人戦
2005.5.8

祈っても 努力しても その時のタイミングや体調によって 勝利の女神が微笑まないこともある。
一発勝負。勝つか負けるか。
去年は惜しくも準優勝。
だからこそ 今年は周りの人々の期待は大きかった。
本人の期待…『今年は優勝して全国大会に進む』 プレッシャーも大きかったかもしれないが、楽しみにしていた。

予選は 当たり前だが通過。
そして
本戦1回戦。。。
相手は何度も対戦したことのある子だった。
その戦いの内容は かなりの高レベルで「決勝戦」と言ってもおかしくないものだったそうだ。
息子は優勢だった勝負を逃がし まさかの敗退。。信じられないが それが戦いの結果。
息子に勝った子は そのまま優勝。全国大会出場を勝ち取った。

もう一つのブロックの選手層は薄かった。もし息子が もう一つのブロックに割り当てられていたら、間違い無く決勝戦で戦ったと思う。
しかし、勝利の女神は 息子に微笑まなかった。
皮肉も 偶然も 「戦いには」何ものも『いい訳にならない』のだ。

息子は 暫くトイレにこもって出て来なかった。。。


暫くしたら この大会も想い出に変わるだろう。。
苦い想い出だろうが。。


本当は この大会で優勝し、全国大会で上位に名を残し、奨励会入りに『自信』をつけたかった。
今 勢いを失って…夏の試験…うまくいくのだろうか。。。
たとえ通過しても…その後 彼は自分の力で上っていけるのだろうか。。。
どちらにしても 今はわからない。
何が『安全』なのか…策は無い。
ただ ひたすら 走りつづけて結果をだすだけ。
結果は 本当にでるのだろうか。。。


授業参観・修学旅行説明会・美化委員会
2005.5.9

何故だか 行事と用事は重なる。。
昨日のことで 精神的に落胆しているのに 何も無かったかのように振舞うのだ。
自分が頑張って結果を出せることに対しては強くなった。精神的に強くなっているけど、子供のこととなると 話は別。どんなに私が頑張っても 子供とシンクロしてやり遂げなければ達成できない『子供の成長』には…振りまわされているのかもしれない。
そんなことを たまに考えながら…用事を済ます。
母のこともあるから…多分 少しだけ疲れが溜まって抜けないのだろう。
風邪…引かないようにしないと。。


憑き物が落ちたかのように
2005.5.15

母は正気を取り戻していた。
「自分でも不思議なくらい あの時は腹が立って腹が立って 涙が出てとまらなかったのよ。」
笑いながら言った。
多分 ホルモンバランスが安定したのだろう。。。
それにしても 別人だ。
これが本来の姿だと思いたい。
私が結婚した頃の 自由な精神の頃の母の姿を思い出す。

このまま いつまで 正気でいてくれるかわからないけど、とりあえずホッとした。


虫刺され
2005.5.16

朝から 美化委員は地域の花壇清掃。
湿気が無いので暑すぎることもなく、適度に曇りであった。
自治会の公園花壇と違って、花木(つつじ)の間の雑草取りは 思ったより手間がかかり、大変だった。無数の枝が雑草を取る手に傷をつけた。仕方がないので 這いずった体勢で最後は雑草除去した。

帰宅すると 今度は庭が気になった。。。
裏庭は数ヶ月手をつけていない。気になって仕方が無かった。。
腰痛も落ち着いているこの時とばかりに やり始めてしまった。
袋三つばかり 取れ スッキリ。ゴミの収集車が来る時間にも間に合った。

しばらくして 左の肩周辺がチクチクするような気がした。なんとなく赤くなっている。。。
もしかして 毛虫?と思い、赤くなっている場所にテープを貼って剥がした。こうすると毒針を除去することが出来る。服の裏側も念入りに貼っては剥がした。
何年か前に「チャドクガ」の被害があったという。。我が家でも3年前に『イラガ』によって水疱が出来、1週間以上痛かった記憶が。。しかし今回は花壇清掃でやられたのだろう。家の草はそんなに高くまで生えてはいなかったから。
ムヒでも塗って様子をみよう。。。


だんだん酷くなる



肩一面カユイ。痛い感じもある。虫刺されって こんなに痛くなるっけ?
産直だったので、一緒に草むしりをした人に見せたら「あらー虫刺され痛そう」と同情してくれた。
夜、痛くて眠れなくなった。。
寝返りも キツイ。。
大丈夫か??


帯状疱疹?


今日は美化の先日の反省会があった。
一通り反省会が終了してから どんどん酷くなる虫刺され痕…申告。
こういうものは一応市に報告しないとならない。虫がいるなら消毒するのは市の仕事だ。
そして、体に被害があった場合、医療費の請求も市にするからだ。

痛みの度合いを一通り説明して 患部を見せると、「この水疱、帯状疱疹じゃない?」と別の病名が浮上。。
この日は日曜日だったので明日 皮膚科で診てもらい結果を委員長に報告することになった。
虫刺されの方が マシだ。。どうか虫刺されであってくれ。


皮膚科

初めて行く皮膚科。診察室に入って患部を見せると「あー帯状疱疹ですね。。酷くなってますね。。」
と言われた。
帯状疱疹は初期治療が肝心らしく、私のように水疱が破れてカサブタのように黒くなってしまったら すでに末期で、痛みや痕が残りやすいとのこと。赤みのうちに薬を飲んでいたならば 痛みもほとんどなく痕ができるほどにはならなかったらしい。。。
ここまで進行していると 薬飲んでも すぐに効かないかもしれないとも言われた。
しかたがない。。自治会・学校・地区委員会・子供の歯医者・それに父の世話。。時間がなかったのだ。
今回は忙しかった。自分の事は後回し。。
安静にしてくださいと言われたが、この後父のケアプランの打ち合わせがあるし、明日は父の定期検診の日だ。休んではいられない。
処方箋を出し薬局で薬をもらった。なんと5,040円!!! たっ高いっ★
虫刺されなら もうそろそろ治ってくる時期。。市から治療費の保障もあったのに…(泣)
損した気分になった私だった。


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